日 時 | 2020年7月17日(金)12:30~ | |
例会場 | 厚木アーバンホテル 本館2階レインボー | |
内 容 | 「前年度ラオス支援訪問報告」 | |
担 当 | 奉仕プロジェクト委員会 |
今日のお花
今日は何の日(佐藤SAA)
平成23年の今日、FIFA女子ワールドカップで、当時ランキング1位だったアメリカ代表を2-2からのPK戦の末破り、女子サッカー日本代表が史上初の優勝をしました。
同年3月11日に起こった東日本大震災にみまわれた日本人に、大きな勇気と希望を与えたことは鮮明に覚えています。
また、チームには団体としては初となる国民栄誉賞が授与されました。
会長タイム
皆様、改めましてこんにちは。今日は皆様に報告が2つございます。
先日、能勢幹事よりFAXが行ったと思いますが石井卓会員のお母さまがご逝去され、家族葬で執り行うとご意思のため、皆様のご参列はご遠慮下さいとの意向でした。そのため会長幹事でお焼香に行って参りました。クラブからは生花と香典を届けてまいりました。石井会員からはコロナウィルスが猛威を振るっているので、皆様にご迷惑を掛けるわけにいきませんのでとの意向をお伝えくださいとお言葉を預かって参りました。
もう一つは最近、田口会員と岩堀会員の欠席が続いております。これもまたコロナウイルスでの感染防止と言う事で、井前会長が機転を利かせてお二方に無理しての出席を控えてくださいとお伝えしてのことですので、皆様ご心配なさらぬようお願い致します。
さて、話は変わりますが、本日の例会のために、赤尾様は足元の悪い中わざわざ千葉県松の松戸より厚木県央Rいただき本当に有難うございます。
我クラブも国際奉仕を手掛けて、立脇年度・井年度・今年度と3期にわたり医療物資・子供たちに笑顔を届けるプロジェクト、今期は農機具贈呈・農業支援への挑戦を企画しております。
本日の例会内容は新型コロナウイルスによる例会延期により、井年度にラオス訪問のご報告できなかった分、今日皆様への報告の時間を頂きました。松本会員がとってもわかりやすく画像収集を作ってくれましたので、松本委員長・関原会員より報告をして頂きます。
私のつたない話より本日は赤尾さんに少しでもお話を頂きたく、会長タイムはこの辺にしたいと思います。
それでは、本日も宜しくお願いいたします。
【例会】「前年度ラオス支援プロジェクト報告」
担当:奉仕プロジェクト委員会 委員長 松本豊君
高畑年度最初の奉仕プロジェクト委員会の例会行事は、井年度に行った国際奉仕事業「ラオス支援プロジェクト」を例会行事とさせていただきます。本来ならば前年度の委員会で、プロジェクト完了翌月の3月に報告例会を予定しておりましたが、御存知のとおりCOVID-19の影響で休会が続き、井年度ですべき報告をする時間を確保する事ができませんでした。しかしクラブの国際奉仕事業として寄付を行い、また街頭にて市民のご厚情を頂いた募金を活用させていただいた事業でもあり報告は必須であり、新年度の委員会行事として「前年度(井年度)ラオス支援プロジェクト報告」をテーマに支援報告をさせていただきます。(役職名は前年度の役職で記載しております。)
さて井年度のラオス支援は、和田委員長発案で左記のテーマのもと支援の目的を明確に掲げ、活動を行いました。出発日は令和2年2月20日と決定し、奉仕プロジェクト委員会を中心に現地での奉仕活動の打合せを行い、当初計画では9名の会員が参加予定でした。しかし支援報告が遅れた理由でもある、折からのコロナ災禍の事前情報を井会長が鑑み、和田委員長を初め4名の会員の方には不本意ながら慎重を期し辞退いただき、5名の会員でラオスに向かう事となりました。(その頃はまだCOVID-19の影響については、現在の様な状況ではありませんでしたが。)
出発当日 思いがこもった会員手製の千羽鶴、活動に使用するラオスの子供達への景品が入っているダンボール箱に、井会長特製のステッカーを貼り、そしてクラブからの寄付を預かりラオスへ向かいました。早朝にもかかわらずNPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJPANの永野さんが見送りにわざわざ成田空港まで来てくださいました。
そしてベトナム ハノイ迄の6時間のフライトに加え、ハノイの空港でトランジットが5時間という長旅のすえ無事ラオス・ルアンパバーンに到着。
写真のとおり荷物も受け取り無事ラオスに入国いたしました。夜遅い時間にもかかわらず思いがけず、赤尾さんの出迎えを受けホテルにチェックイン。その後タスクフォース(以降TFと略)は最終打合せを開き翌日の本番にそなえました。
明くる朝5時に起き、早朝に行われる修行僧の托鉢を見学。前日の強行軍にもかかわらず全員が寝坊する事なく参加いたしました。中国はすでに国境封鎖されており中国人はいませんでしたが、海外からの観光客、特にヨーロッパからの見学者が多数見受けられました。托鉢自体は真剣な行事として行われているのでしょうが、かなり観光目的とされており、一つの行事化されている印象でした。
朝食を済ませ朝市を見学後、いよいよ支援の舞台であるラオ・フレンズ小児病院に向け出発。前日 赤尾さんに「マスクを必ずお願いします。」と厳命され写真の通り全員マスク姿です。
全員オックスフォードシャツで統一して活動の予定でしたが、立脇直前会長は会長時の反動でサイズが合わなく、一人ポロシャツで参加する事になりました。
ホテルには赤尾さんが手配していただいたガイド兼通訳として、非常に日本語の堪能な現地人のブイ君が迎えに来てくれました。彼は以前、ラオ・フレンズ小児病院で赤尾さんと一緒に働いていたそうです。
いよいよ出発。ブイ君に連れられTFは車で10分ほどの場所にある病院に向います。
いよいよ目的地に到着。ブーゲンビリアが咲き誇っていましたが、今年は例年に比べてかなり寒いそうです。
病院まで来る道すがら、露店で商売をしている人がたくさんいましたが、道路状況が悪いので埃っぽく、清潔な水もなさそうなので手洗いやうがいもする習慣はないと思いますので衛生状態はかなり劣悪のようです。
はっきり言って普通の日本人ではとてもではありませんが厳しい環境です。
会員からの手製の千羽鶴や子供達への縁日ゲームでの景品(この景品の原資は街頭募金の市民の浄財)、そして病院のスタッフが、レクレーション活動時に利用してもらうためにプレゼントする、楽器などが入ったダンボール箱を病院スタッフの手を借りて運び込みます。さてさてこれからどうなるのか少々不安ですが。
クラブからの寄付目録贈呈
今年も一人でも多くの患者が救われる事を祈念して、井会長よりクラブ
からの寄付金が贈呈されました。
赤尾さんの指示のもと奉仕活動の準備にいそしむTF
いよいよ本番 「ラオスの子供たちに笑顔を届けるプロジェクト」
この井会長の持っている景品のガチャと、和田委員長一押しの紙飛行機は残念ながら全くの不評でした。ガチャはただの丸いプラスチックの玉という認識で、中に景品が入っているという事がわからなかったのです。持っている箱のディズニーのキャラクターも全く興味がないようでした。言葉も通じませんので説明もできません。
紙飛行機はもはや論外で飛行機に関心など無いのでしょう。意外に人気があったのがシャボン玉で、単純で家でも作れるので少ない遊びの一つなのでしょう。
もう一つのプロジェクトが紙芝居です。高畑エレクトの棒読みをガイドのブイ君が見事に通訳してくれたので何とか成功したのではないでしょうか。帰ってきてから井会長が高畑エレクトに「あれならエレクトがやらなくても、ブイ君にそのまま読んでもらった方がよかった。」
などとひどい事を言い放ちました。さすがの私にも一生懸命やったエレクトにそんなひどい事はいえません。
我がクラブ恒例の関原会員のバックミュージック。そしてイベント後半には日本から持参した鉄琴と木琴を井会長より病院スタッフに贈呈。スタッフともかなりコミュニケーションがとれプロジェクトの目的の一つである「病院スタッフと交流を図る」も達成できたと実感しました。これで子供達を楽しませて下さい。
目的の奉仕プロジェクトもなんとか達成する事ができました。
プロジェクト終了後、赤尾さんが病院の説明と院内の案内をしてくれました。
昨年度この部屋からの同時中継例会で、立脇直前会長が点鐘を、井会長が「四つのテスト」をいたしました。私は日本でSAAとして例会の進行を務めましたがその時の事は鮮明に覚えています。まさか今年度、自分がここに来るとは思ってもおりませんでした。それにしても日本中に多数のロータリークラブがありますが、同じクラブが他国と日本で、同時中継例会を行ったクラブは滅多にないのではないでしょうか!
赤尾さんの案内で病院内を見学させていただきました。病院は患者数に対してスペースのキャパが不足している事を感じました。職員用のロッカーや書類や資料を入れる棚などもほとんどありません。入院患者用のベッドも患者数が多く、少しでもベッド数を増やす為、通路や共用部を節約して確保しているほどで、付添の肉親は建物外の軒下の廊下で、毛布を敷いて仮眠をとっている状況です。そして費用捻出のため、今年から院内の余剰敷地を業者に依頼して開墾し、スタッフの手で農作物を収穫する事にしたそうです。
TFが訪問する2週間ほど前に初収穫をしたとの事です。その見学を終え説明を聞いた結果、TFの今回の目的の一つである「補助金事業の候補」として、この院内農園の活用と支援を検討する事といたしました。
ルアンパバーンの雰囲気
折角ですから、ルアンパバーンの街の雰囲気を少々。ここは市街地が世界遺産に指定されており、3階以上の建物は建てられません。それにしても風情も雰囲気もかなり次元の違う街です。街の名の由来ですが、ルアンパバーンとはラオス語で「大切な仏像がある場所」という意味だそうです。
世界の貧しい国家の現状を実感して
プロジェクトの最後に、帰国後この何気なく撮った写真をみて、腕を精一杯伸ばし我々に救いを求めている様な姿と、ピュアで悲しげな視線に「生命は平等ですが、生きていく事は平等ではない。」
という事をふと実感しました。